Oka Laboratory

朝鮮放送協會

当時日本の統治下にあった朝鮮では、1924年11月に朝鮮総督府逓信局(J8AA)の試験放送が周波数750kHz (400m)、出力50Wで行なわれました。翌1925年6月、マルコーニUB型400W送信機を逓信局無線実験室に設置し、750kHzで試験放送を開始しました。1926年10月5日には周波数を857kHz (350m) に変更し、JODKの呼出符合を使うようになりました。1926年11月30日に社團法人京城放送局(JODK)が認可され、翌1927年2月16日に周波数870kHz、出力1kWで本放送が始まりました。1932年4月7日に京城放送局はその法人名を朝鮮放送協會(朝鮮放送協会)に改称しました。

1935年9月21日に釜山放送局(JBAK)が開局しました。1936年4月10日から平壤放送局(JBBK)の仮放送が出力50Wで開始、本放送は11月15日に始まりました。その後1945年8月までに18放送局、3放送所が完成しました。戦後、北半部は朝鮮中央放送委員会、南半部は韓国国営放送(現、韓国放送公社)によって引き継がれています。

1942年頃に放送協會技術部が300W短波送信機を試作し、地方局への中継回線として周波数3710kHzで送信を始めました。この結果を踏まえて京城中央放送局延禧放送所の10kW中波送信機を5kW短波送信機に改造し、1943年10月から周波数は2510kHzで地方局への第1放送の中継回線が使われるようになりました。

本部は京畿道京城府貞洞1-10にありました。第1放送は日本語、第2放送は朝鮮語による放送です。第2放送は1942年4月27日に一旦中止され、翌1943年11月10日に再会、1945年2月11日に再び放送中止になりました。

佐藤さんから様々なご教示を頂きました。ここに深く感謝するとともに厚く御礼申し上げます。

京城中央放送局

放送局概要

呼出符号
JODK
所在地
京畿道京城府西大門區貞洞町1-10
周波数
第1放送
710kHz(10kW)
第2放送
970kHz(50kW)
短波
2.51MHz(5kW)、3.71MHz(2kW)
送信機
第1放送
GRP-71A(東京電氣、10kW)
第2放送
GRP-123C(東京電氣、50kW)
短波
GRP-71A改(東京電氣、5kW)、朝鮮放送協會技術部製(2kW)
開局時
6Q(マルコーニ、1kW)
空中線
第1放送
自立式三角鉄塔2基(高さ110m)、無指向垂直(104m)
第2放送
自立式三角鉄塔2基(高さ75m、70m)、T型(水平部37.5m、垂直部64m)
送信所
延禧(京畿道京城府西大門區西橋町136)
受信所
朱安(京畿道仁川府朱安町)
東莱(慶尚南道釜山府大淵町)
現況
KBS第1 (HLKA)
711kHz(500kW)
KBS社会教育 (HLCA)
972kHz(1500kW)

沿革

1926年6月7日
局舎建設工事着工
1926年11月30日
社團法人京城放送局設立
1926年12月5日
局舎竣工
1926年12月9日
総督府告示第379号により放送無線電話施設認可
1926年12月11日
法人登記完了
1927年1月20日
817kHz(1kW)で試験放送を開始
1927年2月13日
周波数を870kHzに変更
1927年2月16日
870kHz(1kW)で本放送を開始
1927年6月18日
無線中継放送を実施
総督府逓信局C涼里受信所で東京中央放送局を受信
1928年4月6日
周波数を820kHzに変更
1928年7月
素砂(京畿道富川郡素砂面)に仮受信所を設置
1929年6月30日
素砂受信所開所
1930年2月1日
周波数を690kHzに変更
1930年12月
水原臨時受信所(京畿道水原郡)開所
1931年11月
朱安受信所(京畿道富川郡多朱面士忠里)開所
素砂受信所、水原臨時受信所閉鎖?
1932年4月7日
社團法人京城放送局を社團法人朝鮮放送協會に改称
1932年8月6日
延禧送信所(京畿道高陽郡延禧面西細橋里136)着工
1932年8月7日
貞洞演奏所着工
1933年1月10日
延禧送信所2重放送施設着工
1933年2月24日
延禧送信所調整試験開始
1933年4月6日
延禧送信所試験放送開始
1933年4月26日
第1放送の周波数を900kHzに変更、出力を10kWに増力
第2放送を610kHz(10kW)で開始
1934年1月8日
放送波による内鮮定期連絡放送を開始
1934年7月
貞洞演奏所に短波受信装置を設置
1935年3月6日
東莱受信所着工
1935年7月17日
東莱受信所(慶尚南道東莱郡西面大淵里)開所
1935年9月17日
京城中央放送局に改称
1936年4月1日
延禧面の京城府編入により延禧送信所の地名変更(京畿道京城府西橋町136)
西面の釜山府編入により東莱受信所の地名変更
1936年7月1日
第1放送の周波数を970kHz、第2放送の周波数を710kHzに変更
1936年10月1日
多朱面の仁川府編入により朱安受信所の地名変更
1937年1月10日
第1放送の周波数を710kHz、第2放送の周波数を970kHzに変更
1937年4月17日
第2放送の出力を50kWに増力
1937年8月23日
平日夜間に第2放送で中国語放送を開始
1937年9月13日
平日夜間に第2放送で英語放送を開始
1937年11月13日
平日夜間に第2放送でロシア語放送を開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1942年
300W短波送信機を試作(後に2kWに増力)
高さ110mの傾斜型空中線を用い、3.71MHzで送信
1943年6月10日
京城府の区制実施により放送局と延禧送信所の地名変更
1943年10月
10kW中波送信機を改造した5kW短波送信機の運用を開始
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

釜山放送局

放送局概要

呼出符号
JBAK
所在地
慶尚南道釜山府大廳町1丁目7
周波数
第1放送
650kHz(0.25kW)
第2放送
1030kHz(0.15kW)
送信機
第1放送
GRP-102D(東京電氣、250W)
第2放送
型名不詳(150W)
空中線
自立式三角鉄塔2基(高さ41m、35m)、T型(水平部30m、垂直部32m)2組
現況
KBS釜山 (HLKB)
891kHz(250kW)

沿革

1935年3月6日
局舎新築工事着工
1935年9月21日
1030kHz(150W)で第1放送を開始
1935年9月22日
釜山放送局初放送開始及び開局祝賀特別放送を中継
1937年12月31日
250W出力増強工事竣工
1941年5月15日
総督府告示第702号により第2放送許可
1941年8月
第1放送の周波数を650kHz(0.25kW)に変更
第2放送を1030kHz(0.15kW)で開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

平壤放送局

放送局概要

呼出符号
JBBK
所在地
平安南道平壤府梧野里130
周波数
第1放送
820kHz(0.5kW)
第2放送
1090kHz(0.5kW)
送信機
第1放送
GRP-98B(東京電氣、500W)
第2放送
GRP-98B(東京電氣、500W)
空中線
木柱4基(高さ55m)、逆L型(高さ55m)2組
受信所
楽浪(平安南道大同郡南串面柳寺里301)
現況
KCBS
819kHz(500kW)
平壌放送
657kHz(1500kW)

沿革

1936年3月23日
設立認可
1936年4月9日
臨時放送許可
1936年4月10日
第1放送の臨時放送を820kHz(朝鮮放送協會技術部型50W送信機)で開始
1936年4月11日
第2放送の臨時放送を1090kHz(朝鮮放送協會技術部型50W送信機)で開始
1936年4月24日
試験放送許可
1936年5月13日
平安南道大同郡大同江面梧野里130で送信所の建設に着工
1936年10月15日
平壤放送局開局
1936年11月8日
梧野里放送所竣工
1936年11月8日
楽浪受信所(平安南道大同郡南串面柳寺里301)竣工
1936年11月15日
第1放送の本放送を820kHz(0.5kW)で開始
第2放送の本放送を1090kHz(0.5kW)で開始
1936年11月22日
平壤放送局開局祝賀式及び開局祝賀特別放送を中継
1938年
大同江面の平壤府編入により放送局の地名変更
1939年2月
平壤府本町1丁目に社屋移転
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

C津放送局

放送局概要

呼出符号
JBCK
所在地
咸鏡北道C津府目賀田町8
周波数
第1放送
850kHz(10kW)
第2放送
1100kHz(0.3kW)
送信機
第1放送
MB-12B(日本電氣、10kW)
第2放送
山中電氣製(300W)
空中線
第1放送
自立式三角鉄塔2基(高さ60m)、T型(水平部60m、垂直部55m)
第2放送
木柱2基、T型(55m)
受信所
康徳(咸鏡北道鏡城郡竜城面康徳洞177)
現況
KCBS清津
702kHz(50kW)
平壌放送 / 朝鮮の声放送
621kHz(500kW)

沿革

1936年8月5日
局舎新築工事着工
1936年12月31日
局舎竣工
1937年6月5日
第1放送を850kHz(10kW)で開始
1937年6月5日
康徳受信所開所
1937年11月13日
平日夜間にロシア語放送を開始
1941年5月30日
総督府告示第782号により第2放送許可
1941年8月
第2放送を1100kHz(0.3kW)で開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止
1945年8月13日
日本軍により爆破

咸興放送局

放送局概要

呼出符号
JBDK
所在地
咸鏡南道咸興府山手町1丁目79
周波数
第1放送
780kHz(0.25kW)
第2放送
1050kHz(0.25kW)
送信機
第1放送
GRP-102D(東京電氣、250W)
第2放送
GRP-102D(東京電氣、250W)
空中線
自立式三角鉄塔3基(高さ35m×2、40m×1)、T型(55m)2組
現況
KCBS咸興
999kHz(250kW)

沿革

1936年12月
設立準備に着手
1938年7月9日
総督府告示第562号により放送無線電話施設認可
1938年10月30日
第1放送を1050kHz(0.25kW)で開始
1939年1月18日
総督府告示第20号により第2放送許可(780kHz、0.25kW)
1939年4月
第1放送の周波数を780kHz(0.25kW)に変更
第2放送を1050kHz(0.25kW)で開始
1939年12月6日
総督府告示第1002号で第1放送780kHz、第2放送1050kHzが認可
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

裡里放送局

放送局概要

呼出符号
JBFK
所在地
全羅北道益山郡裡里邑南中町86
周波数
第1放送
570kHz(0.5kW)
第2放送
1100kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
GRP-98B(東京電氣、500W)
第2放送
型名不詳(50W)
空中線
自立式三角鉄塔3基(高さ55m)、T型2組
現況
KBS全州 (HLKF)
567kHz(100kW)

沿革

1936年12月
設立準備に着手
1938年10月1日
第1放送を570kHz(0.5kW)で開始
1942年4月
第2放送を1100kHz(0.05kW)で開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

大邱放送局

放送局概要

呼出符号
JBGK
所在地
慶尚北道大邱府院垈洞1169
周波数
第1放送
800kHz(0.3kW)
第2放送
1070kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
型名不詳(300W)
第2放送
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ45m)3基、逆L型(55m)2組
現況
KBS大邱 (HLKG)
738kHz(100kW)

沿革

1940年10月30日
第1放送の仮放送を630kHz(0.05kW)で開始
1941年4月19日
第1放送の本放送を開始
第2放送を1070kHz(0.05kW)で開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1944年3月10日
第1放送の周波数を800kHzに変更、出力を300Wに増力
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

光州放送局

放送局概要

呼出符号
JBHK
所在地
全羅南道光州府社町177-2
周波数
第1放送
780kHz(0.05kW)
第2放送
1040kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
山中電氣製(50W)
第2放送
山中電氣製(50W)
空中線
木柱(高さ45m)3基、逆L型2組
現況
KBS光州 (HLKH)
747kHz(100kW)

沿革

1942年3月21日
第1放送を780kHz(0.05kW)で開始
第2放送を1040kHz(0.05kW)で開始
1942年4月27日
電波管制により第2放送を中止
1943年11月10日
第2放送を再開
1945年2月11日
電波管制により第2放送を再び中止

大田放送局

放送局概要

呼出符号
JBIK
所在地
忠C南道大田府北町15
周波数
第1放送
650kHz(0.3kW)
第2放送
880kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
型名不詳(300W)
第2放送
日立製作所製(50W)
空中線
木柱(高さ55m)3基、逆L型2組
現況
KBS大田 (HLKI)
882kHz(20kW)

沿革

1941年4月
設立準備に着手
1943年7月15日
第1放送を880kHz(0.05kW)で開始
1944年10月1日
出力を0.3kWに増力
1944年11月10日
第1放送の周波数を650kHzに変更
第2放送を880kHz(0.05kW)で開始
1945年2月11日
電波管制により第2放送を中止

元山放送局

放送局概要

呼出符号
JBJK
所在地
咸鏡南道元山府栄町 山5-3
周波数
第1放送
660kHz(0.05kW)
第2放送
900kHz(0.05kW)
送信機
型名不詳(50W)2台
空中線
木柱(高さ35m)3基、逆L型2組
現況
KCBS元山
882kHz(250kW)

沿革

1941年4月
設立準備に着手
1942年12月
設立に着手
1943年7月15日
第1放送を660kHz(0.05kW)で開始
1943年11月10日
第2放送を900kHz(0.05kW)で開始
1945年2月11日
電波管制により第2放送を中止

海州放送局

放送局概要

呼出符号
JBKK
所在地
黄海道海州府廣石町
周波数
第1放送
800kHz(0.05kW)
第2放送
1080kHz(0.05kW)
送信機
型名不詳(50W)2台
空中線
木柱(高さ35m)3基、逆L型2組
現況
KCBS海州
1080kHz(1500kW)2012年12月1日停止

沿革

1941年4月
設立準備に着手
1943年8月1日
第1放送を800kHz(0.05kW)で開始(仮放送 or 放送所か?)
1943年11月10日
第2放送を1080kHz(0.05kW)で開始(仮放送 or 放送所か?)
1944年3月21日
海州放送局開局
1945年2月11日
電波管制により第2放送を中止

新義州放送局

放送局概要

呼出符号
JBLK
所在地
平安北道新義州府常盤町9-10
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
更新後
軍用携帯送信機改造型(50W)
開局時
朝鮮放送協會技術部型(30W)
空中線
木柱(高さ35m)2基、逆L型
現況
KCBS新義州
873kHz(250kW)

沿革

1936年12月
設立準備に着手
1942年12月
設立に着手
1943年8月1日
放送所として開所?
第1放送を600kHz(0.03kW)で開始
1944年9月5日
放送局に昇格?
0.05kWに増力?

春川放送局

放送局概要

呼出符号
JBMK
所在地
江原道春川郡春川邑大和町106
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ35m)2基、逆L型
現況
KBS春川 (HLKM)
657kHz(50kW)

沿革

1944年12月20日
第1放送を600kHz(0.05kW)で開始

木浦放送局

放送局概要

呼出符号
JBNK
所在地
全羅南道木浦府湖南町1
周波数
第1放送
1280kHz(0.05kW)
送信機
山中電氣製(50W)
空中線
木柱(高さ30m)2基、逆L型
現況
KBS木浦 (HLKN)
1467kHz(50kW)

沿革

1942年11月1日
補助放送所として開所
第1放送を1280kHz(0.05kW)で開始
1945年1月23日
放送局に昇格

馬山放送局

放送局概要

呼出符号
JBOK
所在地
慶尚南道馬山府城南町74-2
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
山中電氣製(50W)
空中線
木柱(高さ35m)2基、逆L型
現況
KBS昌原 (HLKD)
936kHz(10kW)

沿革

1942年2月20日
簡易放送所として開所
600kHz(朝鮮放送協會技術部型30W送信機)で開始
1942年12月
設立に着手
1943年4月30日
補助放送所に昇格
1944年1月1日
送信機を交換して出力を0.05kWに増力
1945年1月20日
放送局に昇格

城津放送局

放送局概要

呼出符号
JBPK
所在地
咸鏡北道城津府旭町460
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ35m)2基、逆L型
現況
KCBS金策
585kHz(1975年頃停波)

沿革

1943年11月1日
放送所として開所
第1放送を600kHz(0.05kW)で開始
1945年3月15日
放送局に昇格

C州放送局

放送局概要

呼出符号
JBQK
所在地
忠C北道C州郡C州邑石橋町
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
山中電氣製(50W)
空中線
木柱(高さ30m)2基、逆L型
現況
KBS清州 (HLKQ)
1062kHz(50kW)

沿革

1945年6月26日
第1放送を600kHz(0.05kW)で開始

江陵放送所

放送局概要

呼出符号
JBRK
所在地
江原道江陵郡江陵邑校洞
周波数
第1放送
600kHz(0.03kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(30W)
空中線
不明
現況
KBS江陵 (HLKR)
864kHz(100kW)

沿革

1941年12月6日
江陵移動中継所として開所
第1放送を600kHz(0.03kW)で開始
1943年11月
放送所に昇格

開城放送所

放送局概要

呼出符号
(なし)
所在地
京畿道開城府池町59
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ30m)2基、逆L型
現況
KCBS開城
810kHz(50kW)
平壌放送
684kHz(250kW)2012年12月1日停止

沿革

1942年10月
放送所として開所
第1放送を600kHz(0.05kW)で送信開始
1942年12月24日
短波放送受信事件発生
1942年12月27日
短波放送受信事件で所員全員検挙
1943年3月
短波放送受信事件公判開始
1943年11月
短波放送受信事件判決

長箭放送所

放送局概要

呼出符号
(なし)
所在地
江原道高城郡長箭邑長箭里258
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ30m)2基、逆L型
現況
現存せず

沿革

1944年3月
放送所として開所
第1放送を600kHz(0.05kW)で送信開始

瑞山放送所

放送局概要

呼出符号
(なし)
所在地
忠C南道瑞山郡瑞山邑東門里1013
周波数
第1放送
600kHz(0.05kW)
送信機
朝鮮放送協會技術部型(50W)
空中線
木柱(高さ30m)2基、逆L型
現況
現存せず

沿革

1945年3月
放送所として開所
第1放送を600kHz(0.05kW)で送信開始

鎮南浦放送所

放送局概要

呼出符号
(なし)
所在地
平安南道鎮南浦府
周波数
第1放送
600kHz
送信機
-
空中線
-
現況
-

沿革

1945年8月15日
戦争終結により建設中止

羅津臨時放送所

放送局概要

呼出符号
JBDK
所在地
咸鏡北道慶興郡羅津邑
周波数
1040kHz

沿革

1936年9月16日
北鮮防空演習のための臨時放送所として開所
1936年9月19日
放送終了

羅南臨時放送所

放送局概要

呼出符号
JBFK
所在地
咸鏡北道鏡城郡羅南邑
周波数
850kHz

沿革

1936年9月16日
北鮮防空演習のための臨時放送所として開所
1936年9月19日
放送終了

参考文献


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